ケ・ブランリーに行って来ました

LeikoSakurai2008-12-07


「民芸の精神:民衆の工芸からデザインまで」という企画展が気になって、新しい博物館ケ・ブランリーへ行ってきました。
ケ・ブランリーは、その博物館としてのタイトルを「là où dialoguent les cultures:(複数の)文化が語り合うところ」とするところで、ヨーロッパ近代以外の文明・文化を展示し、尊重し、その対話を図る、と言うコンセプトで、「民族博物館」や「人類学博物館」から一線を画しているようです。
そうは言ってもパリには、西洋世界以外の文物の発展などにはとんと無知・無頓着な姿勢が感じられて仕方の無い博物館もままあるため、華々しくオープンしてからもなんとなく行く気になれなかったところなのですが、この「民芸」展を見たくて、しかも今日は第一日曜日で無料のため、寒い中セーヌを超えてのお散歩がてら行ってきた、というわけです。

この無料の日曜日は、すべての国立美術館・博物館で行われているもので、どこも大変にぎわうのですが、並ぶことも無くすんなり入れました。

民芸展は、コンパクトに民芸運動の成立から代表作、さらに、イサム・ノグチ、シャルロット・ペリアン、柳宗理の代表的作品の展示へと続く流れで、一つ一つの出展作がとてもいいもので、本当に楽しめました。日本の工芸がモダンなデザインへ発展したのは、伝統的な民衆の工芸の発見と、デザインや美しいものを日常に使えるものへ、という精神の賜物で、ここが、製作者が芸術家になってしまって、「作品」しか作らず、日常の器は安くて質の低い輸入品か、非個性的な工業製品にに席巻されてしまうと言うフランスとの違いだったんだなあと言うことが良くわかりました。

隣のギャラリーでは、複数のイヌイットの文明から、彫刻や仮面の展示。このギャラリーが壁も床も白一色で、時々氷原で聞こえる音がスピーカーで再生され、個々の彫刻にはいちいち説明はなく、とても小さくて精巧なものは入り口で借りたルーペで見るなど、なかなか気の利いた、素敵な展示でした。
実は偶然、今朝まで読んでいた推理小説に、19世紀のアメリカやヨーロッパの博物館で、いかに先住民族の遺物が博物館用に盗まれ、それどころか同時代の遺体や遺骨まで持ち去られていたが、1990年に先住民の墓地の保護及び変換に関する法律が出来て、遺骨などが変換され始めている、という記述を読んだところだったのですが、隠匿 (ハヤカワ文庫 HM (264-5))この展示には、イヌイットの文化への尊敬こそ感じられこそすれ、差別的な空気がまったく無かったのも、リラックスして展示が楽しめた一因だったのでした。

もうひとつ、上の方の階のギャラリーで、布の展示を楽しみ、ブックショップによって見ると、こども向けの本が充実していたので、プレゼントをいくつか買い、外に出ると、もうとっぷり暮れていました。
秋草をモダンに植えた庭は、夜になるとこんな風にライトでまったく違うイメージに。
今年はなんだかやたら青いエッフェル塔もここの庭から見るとなんだか特別にアートしているように見えました。